レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯に見る成功の歩み

今回は私の尊敬する画家の一人、レオナルド・ダ・ヴィンチの生い立ちについて解説していきたいと思います。

レオナルドの絵画作品は生涯で20点程。
意外にも少ないですよね?

一つの作品に納得いくまでじっくり時間をかけて制作してくタイプだったようです。
(もしかしたらまだ誰かの手にあり、発見されていないものも複数あるのかもしれないと勝手にロマンを抱いております。)

また、多才で、画家以外にも音楽、数学、気象学などに業績を残しています。

その他に、発明家、解剖学や建築、天文学にも長けていました。
なんともうらやましい才能ですね。

どのような環境でこの才能は育まれたのでしょうか。
少し彼の生い立ちを覗いてみたいと思います。

年少時代のレオナルド

「モナ=リザ」や「最後の晩餐」などで知られるルネッサンスを代表する画家のレオナルド・ダ・ヴィンチは、
1452年4月15日、イタリア半島中部にあるフィレンツェの郊外のヴィンチ村に生まれます。

彼の名前は直訳すれば「ヴィンチ村出身のレオナルド」となります。

父親は公証人(現在の弁護士と公認会計士を合わせたようなもの)をしており
比較的裕福な家庭だったようですが、レオナルドは私生児(結婚していない男女の間に生まれた子)として生まれ、
5歳のころ実の母親から引き離され父の元で暮らすようになりました。

これは相当に辛い経験となったことだろう想像しますが、自然豊かな環境の中で過ごしたレオナルドは、
自然に興味を示し、鋭い観察力を養っていきます。

1466年14歳のときにヴェロッキオ(アンドレア・デル・ヴェロッキオ)に弟子入りします。

当時の工房では、画家や弟子たちが共同で作品を作っており、
レオナルドは多くの巨匠たちとも仕事をしていくうちに、絵画のみならず彫刻や冶金、建築など、
さまざまな分野で知見を広げていきました。

レオナルドの年少時代を振り返ってみると、実母から引き離されるという辛い経験はありましたが、
父親が裕福でありまたレオナルドの良き理解者であったことが、画家としての成功の第一歩を開く鍵となったといえるでしょう。

才能はもちろんのこと、環境も重要な成功の要素だということです。

モナ=リザ(1503年~1505年)

最後の晩餐(1495年~1498年)

 

ミラノとフィレンツェ時代

1482年、30歳のときにレオナルドは、ミラノに向かい宮廷芸術家として17年間活動しました。

この時代に作り上げた作品としては、「岩窟の聖母」「最後の晩餐」「白テンを抱く貴婦人」「ベル・フェロニエール」
などがあります。

絵画以外では、ミラノ大聖堂のドームやパヴィア大聖堂の設計、舞台装置のデザイン、
さらに宮廷舞台劇の演出まで手がけていきます。
当時は、第2次イタリア戦争が勃発するなど厳しい時代でしたので、
製作が中断してしまうようなこともあったようです。

また実母を呼び寄せて一緒に暮らし、最後を看取ったようです。

1499年、フランス軍の侵攻によりミラノを離れることになり、1500年に再びフィレンツェに戻ってきます。
この頃には多くの弟子を抱えるようにもなっていました。

1501年に公開された祭壇画「聖アンナと聖母子」は、多くの人が列をなして押し寄せたと言われています。

その後、ヴェッキオ宮殿の大会議室を飾る壁画「アンギアーリの戦い」を、
ミケランジェロとともに手がけることになりますが、途中で絵具が剥がれ落ちる、
ミケランジェロもローマに招聘(しょうへい)されるなどの理由で、巨匠2人による共作は中断されます。

レオナルドがほかの画家たちと一線を画すのは、彼の才能が絵画だけに留まらなかったことでしょう。
1502年には軍事土木技師としても働いていますが、この多才さこそが彼の魅力です。

晩年

1516年にフランス国王フランソワ1世の招きにより、ロワール渓谷をのぞむアンボワーズ城近くの
クロ・リュセ城で最後の3年間を過ごすことになります。

1519年67歳で亡くなりますが、未完の作品を手がけたり、手の込んだ祭典を企画して
フランソワ1世や来客を楽しませたりしたと言われています。

レオナルドの手元に最後まで残されていた作品として知られているのが、
「モナ・リザ」「聖アンナと聖母子」「洗礼者ヨハネ」の3点でした。

現在、「モナ・リザ」がフランスの所有となっているのも、
このときフランソワ1世が買い取ったからです。

レオナルドが残した膨大な手稿は、弟子のフランチェスコ・メルツィに託されましたが、
さまざまな形で編纂(へんさん)されながら世界中に散逸しています。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、戦争に翻弄されながらも、
芸術家としては恵まれた人生を歩んだ人物といえるでしょう。

頑固で人付き合いが苦手な芸術家が多い中で、
優しくて好奇心旺盛な性格から彼は多くの人々から慕われました。

このことは彼の人生を豊かにするだけでなく、
芸術家としての成功の道を早い段階から開いてくれるきっかけを作ったと思われます。

また、「モナ・リザ」が世界的に有名なのですが、
レオナルド自身もお気に入りであったということを知ると、改めて作品に興味を覚えます。

まとめ

  • レオナルド・ダ・ヴィンチはイタリアフィレンツェのヴィンチ村に生まれる。
  • 5歳のとき、母親から引き離され、父親の元で暮らしていた。
  • 14歳という若さで弟子入りし、共同作で才能を発揮した。
  • 30歳のときにミラノに向かい宮廷芸術家として17年間活動した。
  • 67歳没。
  • 手元に最後まで残されていた作品は「モナ・リザ」「聖アンナと聖母子」「洗礼者ヨハネ」の3点
  • 優しくて好奇心旺盛な性格から多くの人々から慕われた。

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