典型的な印象派画家アルフレッド・シスレーの生涯と代表作について

今回は典型的な印象は画家と呼ばれたアルフレッド・シスレーの生涯と代表作について説明します。

戸外制作や風景画がメインの画家さんなので、戸外制作に憧れ、風景画が好きな私は気になる画家さんの一人です。

金銭面で苦労した画家さんも、年を重ねるにつれて豊かになっていくのに、シスレーは晩年も苦労していたようで、皮肉にも没後に作品が評価されたようです。

それではどんな生涯を送ったのか覗いてみましょう。

シスレーとはどんな人物だったか?

アルフレッド・シスレーは、フランス生まれのイギリス人画家です。

パリ周辺の風景をモチーフにした穏やかな風景画作品で、ほかのジャンルはすべて合わせても20点に満たないともされています。
またシスレーは典型的な印象主義者とも言われていて、ほかの多くの画家が印象派の技法を離れても、シスレーは屋外での製作にこだわるなど、生涯一貫して印象派画法を貫き通しました。

美術史家のロバート・ローゼンブラムも、シスレーのことを「最も汎用的な特徴を持ち、非個性的で教科書として示すのに完璧な印象派絵画」と評価しています。

シスレーの色使いと表現力は、年月をかけるたびに成長していきましたが、生きている間に作品が高く評価されることはありませんでした。
しかし、シスレーが亡くなった翌年の1900年に「ポート・マルリーの洪水」が競売で最高値を付けられるなど、没後に評価されるタイプの画家でした。

シスレーの性格は、引っ込み思案で大人しい性格だったようです。
また、普仏戦争勃発後から亡くなるまでは、金銭面での苦労が付いて回る人生でした。

シスレーの生涯について一通り説明

シスレーは1839年10月30日、イギリス人の両親のもとパリに生まれます。

父親ウィリアム・シスレーは絹を扱う貿易商で、シスレーの家は裕福な家庭でした。

1857年から1860年の間、ロンドンに移り住み叔父からビジネスを学びますが、
商業はそっちのけで美術に関心を持ち、ターナーやコンスタンブルなどの作品に触れます。

4年後にはパリに戻り、フレデリック・バジールのすすめでマルク=シャルル=ガブリエル・グレールの画塾で学び、
クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、バジールらと出会います。

後に印象派展に参加することになります。

彼らの絵は戸外での制作による風景画がメインでした。
当時のサロンの審査員からは受け入れられず、展示されることや売られることもあまりありませんでした。

1866年になると、シスレーはパリに住むブレトン人ウジェニー・レクーゼクと交際を始めます。
二人の間には息子ピエールと娘ジャンヌが生まれました。

1860年代のシスレーは父親の援助によりほかの画家たちよりは経済的に恵まれていましたが、1870年に勃発した普仏戦争により風向きが変わります。

当時ブージヴァルに住んでいたシスレーは敵兵により家・財産を失い、翌年には父が破産してしまいます。
作品を売ることで稼ごうとしますが、シスレーの作品はなかなか売れず、死ぬまで生活に困窮するようになりました。

1875年にはモネやベルト・モリゾ、仲の良かったルノワールとともに水彩画、油彩画の即売会を開催します。
経済面での困難は多かったものの、後援者の助けもあり、シスレーは何度かイギリスに旅をしています。
そのたびに作品を残していることや婚姻届を出しているなど、両親の故郷でもあるイギリスへの旅行は、
シスレーの人生にとって大きな意味があったのかもしれません。

シスレーが亡くなったのは、1899年1月29日。
妻が癌で亡くなった数か月後のことで、モレ=シュル=ロワンで喉頭癌のために59歳で死去しました。
シスレーと妻の二人はモレ=シュル=ロワンの墓地に埋葬されています。

没後に評価されたシスレーの代表作とは?

シスレーの学生時代の作品は残っておらず、彼の最初の風景画は、黒、茶色、緑、青色を使った憂鬱な色味の作品が多いです。

シスレーが影響された画家はカミーユ・ピサロやエドゥアール・マネ、クロード・モネなどがいます。

シスレーの作品はほかの印象派画家よりも一貫して風景画に集中しいるため、人物が中心に描かれることがあまりないのも特徴です。

彼の代表的な作品には

「アルジャントゥイユのセーヌ河」(1872年) 、

「アルジャントゥイユの広場 」(1872年)、

「モレジーの競艇」(1874年)、

「ルーヴシエンヌの庭 ― 雪の効果」(1874年)、

「ポール=マルリの洪水」(1876年)、

「ポール=マルリの洪水と小舟」(1876年)、

「朝の日差しを浴びるモレの教会」(1893年)

などが挙げられます。

まとめ

●シスレーとはどんな人物だったか?
・引っ込み思案で大人しい性格だった。
・普仏戦争勃発後から亡くなるまでは、金銭面での苦労が付いて回る人生だった。

●シスレーの生涯について一通り説明
・1839年10月30日、イギリス人の両親のもとパリに生まれる。
・父親ウィリアム・シスレーは絹を扱う貿易商で、裕福な家庭だった。
・パリで、マルク=シャルル=ガブリエル・グレールの画塾で学び、
クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、バジールらと出会う。
・印象派展に参加するも、当時のサロンの審査員からは受け入れられず、
展示されることや売られることもあまりなかった。
・59歳で死去・

●没後に評価されたシスレーの代表作とは?
・「アルジャントゥイユのセーヌ河」(1872年)
・「アルジャントゥイユの広場 」(1872年)
・「モレジーの競艇」(1874年)
・「ルーヴシエンヌの庭 ― 雪の効果」(1874年)
・「ポール=マルリの洪水」(1876年)
・「ポール=マルリの洪水と小舟」(1876年)
・「朝の日差しを浴びるモレの教会」(1893年)など

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